禅 ZEN

喜びも苦しみも涙も…。あるがままに。

Introduction -プロダクションノート-

日本曹洞宗の開祖、道元禅師の初映画化へ――

ただ、ひたすらに坐禅を行ずる――「只管打坐(しかんたざ)」の教えを広めた、道元禅師の人生を描いた本作は、作り手の思いが存分に込められた初映画化にふさわしい一作となった。
「永平の風 道元の生涯」の原作者でもあり、製作総指揮を手がけた駒澤大学総長の大谷哲夫の長年の願いから映画化に向けたプランが始動。その後、「自分が尊敬する三人の宗教家のひとりが道元だった」という高橋伴明監督の手により、普通ならリサーチでだけで数ヶ月かかる脚本執筆が、その熱意でわずか1ヶ月という異例のスピードで完成した。親鸞や日蓮とは違い、その生涯には取り立てて劇的な場面は少なく、ひたすら坐禅を続けた道元の高尚な生き方にあえて着目した監督は、原作の史実の部分においてはフィクションを挿入することなく、あくまで厳密に従いながらも、そこにおりんと俊了というオリジナルのキャラクターを加えて本作を描いている。そこには、おりんと俊了という市井の人々に近い存在を加えることで、観客にも崇高な求道(仏の教えを求めること)に親近感を感じてもらいたい、という意図があった。
さらに、道元禅師を演じる役者には、禅宗の求道や作法に歌舞伎の世界に通じるものがあることから、歌舞伎俳優の中でもとりわけ安定した演技力に定評のある中村勘太郎に白羽の矢が立てられた。勘太郎自身もこの申し出に意欲をみせ、こうして高橋&勘太郎という両輪が形作られ、製作は一気に加速していった。
撮影前には、下見ロケハンに2ヶ月、本ロケハンに2ヶ月、合計4ヶ月にも及ぶ長期のロケハンが行われ、製作スタッフは曹洞宗の有名な寺をほとんどを見て回った。その結果、一府九県にまたがる広範囲な撮影に加え、別班で中国蘇州でのロケも行われた。メイン撮影は3月10日にクランクインし、4月30日にクランクアップしているが、季節も時代も多岐にわたるため、最終的な撮影は8月末まで続けられた。
さらに禅寺での撮影では、各寺の定める決まりを守りながらの撮影が行われた。特に道元禅師入滅の撮影は、神奈川県の最乗寺にある禅堂で行われ、普段は絶対に貸し出されることのない神聖な場所を「本作のためなら」と、特別に使用許可が出され、荘厳な空気が包み込むクライマックスシーンが完成したのだった。また、中国シーンは永平寺と並ぶ大本山、総持寺で撮影されている。

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中村勘太郎のこだわり抜いた役作り

映画では初となる道元禅師の姿を体現するにあたって、中村勘太郎の役作りは徹底したものだった。そのひとつは、撮影に入る4ヶ月前に自らの希望で足を運んだ永平寺での体験修行だった。「坐禅」「作務(掃除)」「諷経(経を読みあげること)」など、雲水(僧侶)が日ごろ行っているのと同じ厳しい修行を体験することで、道元禅師の教えを肌で感じ取ってきたのだ。勘太郎はこのときの体験を、「とても大変でした。とはいえ、経験してみないとわからないことだったので、この機会は私にとってすごく力になりました。イメージも具体的に膨らみましたし、心の面にも大きな影響を与えてくれましたね。八百年間も変わらない修行を(雲水たちと共に)したことで、勉強になり、大きなものをいただきました。道元禅師のお膝元で修行を重ねている方々のためにも、彼らの気持ちを持って、道元禅師を演じたいと思いました」と語り、改めて今回の役の重みを実感している。
さらに、24歳で入宋し、如浄禅師のもとで修行を積む芝居をするのに必要不可欠だった中国語に至っては、半年間かけて本格的に基礎から勉強をはじめている。セリフを暗記するよりもきちんとイロハから習得したい、と考えた勘太郎は、撮影前だけでなく撮影中も中国語指導の講師に習い中国語のマスターに尽力した。歌舞伎俳優としての天性のセンスも手伝ってか、その語学感覚、耳の良さ、呑み込みの速さは、語学指導の講師だけでなく撮影現場の中国人通訳らを大いに驚かせたうえに、歌舞伎公演中も楽屋で練習をしていたせいで、その姿は歌舞伎界でちょっとした噂にもなったという。
ほかにも、懐奘、寂円、俊了、義介といった雲水を演じたキャストたちも駒澤大学にある竹友寮で禅の修行を体験。勘太郎をはじめ、雲水を演じる5名の主要キャストは実際に剃髪し、撮影に臨んでいる。
一方、おりんを演じる内田有紀も禅宗の寺に足を運んで修行を体験した。さらに実際に曹洞宗の尼僧に話を聞いたり、鎌倉時代に生きた遊女の考え方、捉え方を監督とふたりで徹底的に話し合ったりしたうえで、おりんに命を吹き込んでいる。奇遇にも、内田が話を聞いた尼僧というのが、高橋監督の大学時代の映画サークルの先輩だったという。監督は、まさに道元が縁を取り持つかたちで約40年ぶりに先輩との再会を果たしたのだった。

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2ヶ月を費やしたオープンセットと迫力の炎上シーン

叡山の僧兵による圧迫を受け、道元禅師らが拠点としていた興聖寺がいよいよ焼き払われる一大スケールの炎上シーンには、大規模な準備が施された。
千葉県南房総にある山をひとつ借り切り、2ヶ月以上をかけてオープンセットを建設。山に燃え移らないように最大限の配慮を施し、周囲にはボンベを配置して炎を調整しながら入念なテストを繰り返し、失敗の許されない張りつめた雰囲気の中、撮影は夜を徹して行われた。
ここでも、勘太郎の安定感のある演技力が発揮された。炎が燃え上がる音が激しく、本番ではセリフを録れない。とはいえ、スタッフは炎の前で芝居をしている臨場感をとらえたいため、アフレコではなく現場で音を録りたいと考えていた。そこで、実際に燃やす前のテスト芝居で音だけを録り、編集段階で本番の映像に当てはめることにした。映像と音声は見事なほど完ぺきに混ざり合ったが、これは勘太郎の芝居に一切のぶれがないからこそ可能になったのである。

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現代人が禅を求めるのは、
自然なこと。

いろんな国を旅行した。様々なお稽古ごとを試した。本もそれなりに読んだ。でもまだ自分が何者なのか、何をしたいのかがわからない。そんな”自分探し“に疲れた人々の間で、今、禅が静かなブームです(仕事帰りに立ち寄って坐禅体験できるお寺が全国各地にありますし、坐禅合コン、坐禅ツアーなどの企画もあるようです)。禅の修行法”坐禅“は、仏と同じポーズで坐り、ただひたすら頭を空っぽにして、まっさらな自分になること。仏教の創始者、釈尊は、6年間の苦行林から抜け、菩提樹の下の坐禅三昧を経て悟りの境地に辿り着いたと言われています。今の自分に迷ったら、(釈尊の真似はムリでも)日常のちょっとした時間を使って、坐禅を組んでみませんか。何事にもとらわれず、あるがままに今を生きる。そんな禅の心にふれるうちに、探していた答えはみんな、自分の中にあることに気づくはずです。ちょうど、幸せの青い鳥を探しに出かけたチルチルとミチルが、疲れ果て帰り着いた自分たちの家で、幸せを見つけたように。

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一日一禅、自宅でできる
坐禅のススメ。

道元の生き様にふれているうちに坐禅を組みたくなった!という方のために、今日からでも始められるカンタンな作法をご紹介します。(ここに取り上げているものは、あくまでも作法の一例です)。

まず服装ですが、できるだけゆったりしたもの、部屋着やパジャマ姿でやるのがいいでしょう。装身具、時計などは外し、靴下なども脱いでおきます。

そして、腰の下に敷く坐蒲(ざふ)を用意。自宅では座布団で代用します。初心者の場合は、座布団を一枚敷いた上にもう一枚、半分だけ載せたものに坐るといいでしょう。
坐り方には右の足を左の腿に載せるor左の足を右の腿に載せる半跏趺坐(はんかふざ)、それを両方やる結跏趺坐(けっかふざ)があります。半跏趺坐(はんかふざ)の方が足がシビレにくいと言われています。

指は、両手を丸め、右の掌の上に左の掌を載せるようにして、親指の面を合わせます。これを法界定印(ほっかいじょういん)といいます。

次は左右揺振(さゆうようしん)。上半身を振り子のように左右に揺り動かして、体をまっすぐに正しく落ち着かせます。さらに顎を引き、耳と肩、鼻と臍が同じ面にあるようにします。

目は大体1メートルくらい先の床の上に”落とし“ます。じっと見るのでもなく、見ないでもないという状態です。目を閉じてはいけません。

呼吸は、まず最初に欠気一息(かんきいっそく)と言って、肺の中の空気を全部、口から徐々に吐き出します。次に鼻から深々と息を吸い込み徐々に整えます。

そして、心を正します。目に映るものにも耳に聞こえる音にも、鼻に匂う香りにも心に浮かぶ思念にもとらわれず、ただひたすら坐ります。坐禅堂等では40〜50分が基本ですが、初心者は10〜20分を目安に。

参考図書「一日10分の坐禅入門」高田明和(角川書店)

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禅の言葉で、ココロのデトックスを。

行雲流水【こううんりゅうすい】
行く雲のように、流れる水のように自由に場所を変え、とらわれることなく生きてゆきましょう、との教え。恋にも仕事にも、今晩何を食べるかにもこだわらない、というのはなかなか難しいですが。
日々是好日【にちにちこれこうにち】
どんな一日も、大切に過ごせばかけがえのない日になる、という教え。ヤなことあった日もそれなりに愛せ、ってことですが、この境地に至るにはちょっと修行が要りそうです。

回光返照【えこうへんしょう】
他人の考え方にばかり光を当てるのをやめ、自分を照らし、純粋な魂と向き合いなさい、という道元の教え。自分にとって本当に大切なものは、自分にしかわからない。コレ、意外と忘れがちです。

一大事【いちだいじ】
「生を明らめ死をあき明らむるは仏家一大事の因縁なり」(道元)より。人はなぜ生まれ、どう生きるべきかを明らかにすることが一番大切なのだ、という教え。興味深いのは、仏教における「あきらめる」は「諦める」のではなく、「明らめる」だということ。たまに”あきらめる“のも悪くないんです。

身心脱落【しんじんだつらく】
心と体を覆っている幾多の煩悩から解き放たれ、悟りを得た朝に道元が発した言葉。身心にへばりついた妄執をきれいさっぱり落とせたらどんなにいいか!坐禅はその第一歩だと道元は語っています。

冷暖自知【れいだんじち】
水が冷たいか暖かいかは、自分でさわってみればすぐわかる、という道元の教え。禅について知る場合も、この文章を読んで頭で考えるより、さっさと坐禅を組んでしまった方が早いでしょう。

主人公【しゅじんこう】
禅でいう主人公とは、本来の自己のこと。周囲の目を気にしてヘンにカッコつけたり、人を欺いたりせず、あるがままの自分でいる。それができれば、人は誰でも、毎日主人公になれます!
参考図書「ふっと心がかるくなる禅の言葉」永井政之監修(永岡書店)

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今、なぜ禅? そして、道元なのか?
大谷哲夫(駒澤大学総長・原作者・製作総指揮)

二十一世紀は「心の時代」といわれて久しいものの、現実にはこころの荒みやこころの崩壊を現すような事件が多発し、社会の混迷は深まるばかりです。
そのような心の荒廃、社会の荒廃は、日本人が長い歴史の中で築いてきた土着化した仏教や神道、儒教に基づく日本人が日本人として矜持すべき倫理感が崩れたことによってもたらされています。
「将来に対する、目に見えない閉塞感の中の不安」・・・この言葉に込められた不安とそこにある状況に、夢すら失った現代人の万感の思いがあります。戦後半世紀もの間、無視し続けてきた我々の倫理観に改めて向き合わなければならない時が来たのです。
失われたものは何か、私たちが取り戻すべきものは何か。
その手掛かりのひとつとして、仏教に対する関心の高まりがあります。それは日本だけに留まらず、世界的な広がりにまでなっています。仏教は何時の時代においても、その時代に生きる人々にとって極めて重要な「魂のやすらぎ」の場でした。我々の祖先は仏教に触れ、自然とともに生きる勇気と万物に対する自愛のこころを獲得してきたのです。そんな「やすらぎ」を与えてくれる仏教を、我々は日本人として直観的に支持しているのでしょう。

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なぜ今、道元なのか。

空海、最澄、親鸞などの歴史上の仏教者と違い、道元は世俗や戦乱から隔絶し、ただひたすらに坐る「只管打坐(しかんたざ)」の精神を貫いてきました。しかし、そのシンプルな生き方の筋道の中にこそ、息つく暇もない緊張と激烈なドラマがあったのです。
道元は十四歳の時に、「本来人間はそのままで仏であるというが、ならばなぜ修行をしなくてはならないのか?」という疑問に直面したことで、その答えを求め中国まで渡りました。そこで天童如浄禅師と出会い、その答えを見出したのです。そして、自己を徹底的に律し、峻厳な「山居」のなか、只管打坐の生涯を通じて、一箇半箇の接得にあたり正伝の仏法を伝えました。そしてこの清冽な存在こそが、時代を超越した偉大な宗教家として、またその行持が日本の伝統的形式美へと昇華し、それらを構成する原点ともなったのです。
道元を取り巻く原風景は日本の風土の原型でもあり、日本独自の四季の原型ともいえます。道元は、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」と日本の原点を見事に表現しています。さらに道元の行き着いた世界は言葉では表すことのできない非言語の世界でもありました。日本人がかつて持っていた非言語の世界は「心の豊かさ」に通じます。そして「心の豊かさ」は、非言語の世界を透過した「愛語」の世界に帰結するのです。「愛語」とは、道元が『正法眼蔵』の中で記したように、慈愛の心から生まれる最悪の言語のない優しく慈しみ深い言葉なのです。我々はこの「愛語」にこそ、現代日本の、いや世界の衰えた力を盛り返す回天の力のあることを学ばなくてはなりません。「愛語」は、真の平和への根源なのです。
道元の生きた鎌倉時代と現代は似ています。そのような時代に確立された道元の世界は万人のこころを魅了し、絶え間なく生きてきました。鎌倉という時代の閉塞感が武家政治や新仏教を生んだのだとすれば、その時代の禅者、道元の生き方は同じく混沌とした現代に生きる我々に、その場しのぎ「癒し」とは違う、真実の「魂の安心」を与えてくれるはずです。
道元のはてしなき求道の旅路は終わることはありません。今日も、道元の清冽な精神は生き続けているのです。

(『禅と念仏』第17号より部分引用)