モーターサイクル・ダイアリーズTHE MOTORCYCLE DIARIES

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中古のバイクで雪のアンデスを越え、マチュピチュ遺跡、そして密航してアマゾン河へ・・・
伝説の革命家チェ・ゲバラの無鉄砲で情熱的な青春の日々を「セントラル・ステーション」の名匠ウォルター・サレスが描くロードムービーの傑作!

Introduction -プロダクションノート-

“回想記”から広がる世界

エルネスト・ゲバラの『The Motorcycle Diaries』(邦訳『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』現代企画室)は、後にタイム誌が“20世紀のイコン”のひとりに挙げる人物の、旅行記ではない。
旅の数年後にゲバラによって書き直されたこの作品は、回想記である。旅で遭遇した出来事や人々について描写した旅行日記からの選り抜きに、それらが後に持つようになった意義についての思索を織り交ぜたこの作品は、ひとりの注目すべき人物の運命の軌跡と、青春期の彼の自我の確立を目の当たりにする貴重な機会を提供してくれる。
レッドフォードは言う。“「The Motorcycle Diaries」は、ウォルターとコラボレートする完璧な題材に思えました。チェ・ゲバラが極めて扱いに注意を要する主題にもなりうることを思えば、なおさらでした。彼なら、後のエルネストの政治的な部分に焦点を当てるのではなく、リリシズムとヒューマニティでこの物語を舵取りしてくれるだろうと、私は確信していました”。
プロデューサーたちからこの映画の監督を打診された時、ウォルター・サレス監督は既に原作についてかなりよく知っていた。サレスは言う。“この原作には非常に影響を受けました。というのも、これは一個人がアイデンティティとこの世界における居場所を見つける旅を描いているのですが、それだけでなく、ラテン・アメリカのアイデンティティとでも呼べるものの探索をも描いているからです。この個人的探索と、これら南米各地を故郷とする私たち全員にとってはもっと深い意味を持っていた探索とが、からみあい一体となっていたことに、私は深く心動かされたのです”。
サレスは続ける。“この本を読み終えると、世界はそれを理解し参加することによって本当に変えることができるのだという気持ちになれます。この旅が美しいのは、世界に対する彼らの認識が変わるからです。彼らは見ることを拒まなかったのです。そして今度は逆に、この旅で理解したことをよりどころにして、自分たちが世界を変えようと進んでゆくのです”。

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ホセ・リベラの脚本

ふたりの主人公をバランスよく均等に描写するため、脚本を担当したホセ・リベラはゲバラの旅行日記とグラナードの旅行記『Con el Che por Sudam_rica』の両方をソースに用いた。
『The Motorcycle Diaries』とは異なり、グラナードの本は回想記ではない。そこに記載されているのは旅の途上での彼の観察記録である。記事の直接性と全篇に見てとれるユーモアは、紙上に描かれている出来事を再現する上で役立ったばかりか、その書き手であるカリスマ的人物の人物像を再構築する上でも助けになった。
サレスは言う。“ホセはこの若者(ゲバラ)が、彼の未来の神話的イメージと混同されないように心がけてくれました。それよりもホセが興味を持っていたのは、このふたりのユニークなキャラクターたちの人間的な側面を解き明かすことでした。ふたりの若者の、あの時、あの時代においてあり得た姿を見つめようとしたのです。ゲバラの本にも、グラナードの旅行記にも、ありありと見てとれるユーモアを、彼は活かしてくれました。何より重要なのは、ふたりの旅人が旅を深めていくにつれて、少しずつ重みが加わるようにしてくれたことです−−そこがエットレ・スコーラの「追い越し野郎」の脚本と異なるところです”。

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ベルナル&デ・ラ・セルナ

脚本が完成すると、撮影の準備が始まった。映画の主人公たちの出身を尊重するならば、「The Motorcycle Diaries」はアルゼンチン映画であるべきだと、フィルムメイカーたちは固く信じていた。
そこで製作オフィスはアルゼンチンに設置され、各国のパートナーが決定していった。同様に、映画とそこで描かれる様々な文化の真実性を確保するために重要だったのが、それぞれの土地で地元の俳優を起用するという決定だった。キャスティング・セッションはラテン・アメリカ全土で行われ、アルゼンチン、チリ、ペルー各国の俳優たちが選ばれた。
だがサレスは、エルネスト・ゲバラ役に関しては例外的に、メキシコ人の有能な俳優ガエル・ガルシア・ベルナルを起用することにした。サレスは彼を、“同じ世代の俳優たちの中ではもっともユニークで才能豊かなひとり”と評している。
ベルナルは、伝説的人物の若き時代を演じるチャンスに心引かれ、承諾した。ベルナルは言う。“チェがぼくらの人生に与えた影響は大きなものです。特にキューバ革命後に生まれた世代にとっては…(ぼくの世代には)生まれた時から、現代ラテン・アメリカの英雄が存在したわけですから。彼は自分の信念のために闘った男です。アルゼンチン人ですが、祖国でもない国で闘い、ラテン・アメリカの市民、世界の市民となった人です…この物語のお陰で、みんながもっともっと自分の信念を探し求めるようになるんじゃないかと思います”。
ゲバラの配役は決まったが、アルベルト・グラナードを演じる俳優はまだ見つかっていなかった。そしてブエノス・アイレスで、ひとりの傑出した俳優が見つかる。ロドリゴ・デ・ラ・セルナである。主に母国アルゼンチンの演劇界で演技を磨いてきた若手俳優で、「The Motorcycle Diaries」が国際的デビュー作となる。
サレスは言う。“彼が若きアルベルトとはびっくりするほど外見がそっくりなのですが、私が最終的に彼を起用することにした理由はそれではありません。ロドリゴはヴィットリオ・ガスマンやアルベルト・ソルディといったイタリアの名優たちと同じ系統の若手俳優だと思います。ユーモアとシリアス演技がユニークに入り混じっていて、いつでも私たちを驚かせることができる。信じられないような偶然がもうひとつありました。私がそれに気づいたのは彼の起用を決めた後だったのですが、ロドリゴ・デ・ラ・セルナはエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナのはとこだったのです”。

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撮影に向けての訓練

出演が決まると、主演俳優たちは伝記を読んだり、サレスとミナがキューバ訪問中に撮影したグラナードのインタヴュー映像を観たりして役作りを行った。
ベルナルはゲバラが当時読んでいた本を読み始め(フランス実存主義、ラテン・アメリカ社会理論)、デ・ラ・セルナの方はグラナードの未編集の日記を読み、役を演じるのに必要な15ポンド(約6.8キロ)の体重増量にとりかかった。
さらに、サレスはふたりの主演俳優をキューバへ連れて行き、グラナードやゲバラ一家に引き合わせた。グラナードは撮影が始まると現場へもしばしば足を運び、インスピレーションを補充してくれた。
撮影開始が近づくと、ふたりの主演俳優は14週間の集中訓練に入った。彼らは1939年型ノートン500の乗り方を習い、サッカーを練習した。ベルナルはアルゼンチン式スペイン語を完璧なものにするための講習を受け、若きエルネストの特徴だったたくましい体つきを作るためにトレーニングを行った。彼のフィットネス・プログラムは、エルネストがアマゾン川を泳いでわたるシーンを撮影する時にも大いに役に立った。デ・ラ・セルナはマンボとタンゴのレッスンを受け、コルドバ訛りを習得した。
ふたりは知識を深め、映画での自分の仕事をよりレヴェルアップするために、他のクルーとともにセミナーやレクチャーにも参加した。それらのテーマは、“’50年代のアルゼンチン”、“アルゼンチン映画”、“’50年代のポピュラー音楽”、“インカ帝国”、“’50年代のチリとペルー”といったものだった。

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旅路を辿る

監督は撮影監督のエリック・ゴーティエと協力して本作の映画スタイルを練っていった。サレスは言う。“この物語を語るのに私たちが選んだのは、シンプルでダイレクトな映画文法と、スーパー16フォーマットの素朴さでした。35ミリで撮った二、三の夜間撮影ショットも混じえましたがね。ほとんどの場合、私が‘ミザンセーヌ’を押し付けることは避けるようにしました。旅路で見つけたものの流れにゆだねよう、あらかじめ考えてきたアイディアは押し付けないようにしようと心がけました。私たちはまた、いわゆる‘インデュースト(誘導された)・ドキュメンタリー’とは反対のことをしようと努めました。基本的には、私たちのまさに眼前で物語が展開していくかのように撮ろうとしたのです”。
時系列に沿って撮影すると決めたことによって、映画製作と、それが描こうとしている旅との間に、いくつかの類似点が生じることになった。撮影を史実と同じ場所−−それはエルネストとグラナードにとってそうであったように、ふたりを演じている俳優たちにとっても、時にエキゾティックな世界であった−−で行ったことで、この作品の真実性が強まったばかりでなく、クリエイティヴな可能性も広がった。
サレスはエルネストたちの旅の精神にかなうよう、俳優たちが旅の途中で出会った人々を相手に即興で演じることを奨励した。
サレスは言う。“私たちの今回の経験について、ひとつ言えることがあるとすれば−−ここで言う‘私たち’とは、この作品のために二年間の旅に出た集団のことですが−−、それは旅の終点にたどり着いた時、私たちは旅を始めた時と比べて随分と変わったということですね”。

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