ドア・イン・ザ・フロアTHE DOOR IN THE FLOOR

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悲しみの扉を開けて、私は、ゆっくり生まれ変わる。

Introduction -プロダクションノート-

1:映画化始動
「ジョンはこう言った、『よしやろう。君たちにこの本を任せるよ』」

トッド・ウィリアムズ監督は言う。
「ジョン・アーヴィングの小説ではいつも、大きく激しい感情的体験をさせられる。叙述のテクニック、人物の深み、ユーモアと真実のさじ加減、どれも高水準。他の誰にも真似ができない。『未亡人の一年』の中では、僕は3人の登場人物全員に親近感を覚える。彼らは無私無欲であると同時に利己的でもある。――そして、物語の前半1/3を映画化すればきっとうまくいくとひらめいたんだ」。
ウィリアムズは旧知のプロデューサー、アン・ケリーに企画を打診する。原作の前半なら映画になるだろう、という点でふたりは意見が一致。ケリーの同僚テッド・ホープが加わり、3人でアーヴィング宛の手紙の草稿を書くことになった。
ホープとアーヴィングの間には奇妙な縁があった。ホープの高校時代、アーヴィングが二週間ほどレスリングのコーチを務めていたのである。『ホテル・ニューハンプシャー』で成功を収めたアーヴィングが『タイム』誌の表紙になったのは、その三ヶ月後のことだった。1999年9月、「楽園をください」をトロント国際映画祭に出品したホープとケリーは、アーヴィングが「サイダーハウス・ルール」の原作・脚本家として映画祭に来ていると知り、両作品に主演していたトビー・マグワイアに橋渡しを頼む。ホープたちと会ったアーヴィングは、手紙を読んで映画化の意図に心を引かれたと述べ、3人を自宅に招待する。
ホープは言う。「私たちが小説全部を映画化しようとしているのではないという点や、原作のトーン、高潔な感覚に忠実であろうとしていることを、ジョンはとても気に入ってくれた。週末が終わる頃、ジョンはこう言った、『よしやろう。君たちにこの本を任せるよ』」。
アーヴィングは、映画のタイトル、出演者、脚本について承認を与える権利を確保した。「でも彼は私たちを、私たちの道へ送り出してくれたの」とケリーは言う。
また彼は、必ずウィリアムズが監督するという保証を欲しがった。アーヴィングはこの時点でウィリアムズの監督としての才能を見抜いていた。彼は、脚色やキャスティング、編集を行う上でのウィリアムズの選択について、全幅の信頼を寄せた。こうして4年間に渡る映画化への道のりが始まった。

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2:脚本化
「この映画は観客に、耳を傾けること、さらには読むことさえも要求する。」

アーヴィングは言う。「『サイダーハウス・ルール』の時は、小説が完成した瞬間から、映画版ではどうすればよいかが僕には見えていた。でも『未亡人の一年』の場合、どう映画にすればよいのか、さっぱりわからなかった。というのも、この小説では、時間の過ぎてゆく感覚というのが主要人物たちと同じくらい重要なんだ。いくつもの映画化の申し込みを既に断っていた。小説の最初の三分の一だけを映画で描くというトッドのアイディアは、この小説の真のスピリットにとても正直に焦点を合わせたものだ。僕はトッドのアイディアがたちまち気に入ってしまったんだ」。
ウィリアムズは、小説の登場人物たちにスクリーン上でどんな経験をさせればよいかを、こう考えていた。
「エディの場合はイノセンスの喪失――性的にも、感情的にも、知的な意味でもだ。マリアンの場合は悲しみを除くすべての感情の喪失。そして彼女は自分に残されたものをエディに与えようとする。テッドが喪失したのは、自分自身を、自分の結婚生活を、自分の才能を信じる気持ちだ」。
アーヴィングは言う。「マリアンは痛手から回復できずにいる。彼女には哀しさ、もろさがある。この物語で起きることはすべてテッドが、ある種、冷淡にも、悲劇を乗り越えて先に進むことができたことが原因になっている。彼は実は思いやりのある人間だ。彼とマリアンの道は分かれてゆく。性的にも、そして悲しみに対処する能力においてもそうだ。エディにとっては、この物語は学びの体験だ」。
「トッドは物語の時系列をちょっとだけ変更し、ひと夏に焦点を合わせた映画にしている。原作や台詞にもちょっとした調節を施している。まったく独自の要素もいくつか加えている。彼が創作したシーンには、原作のままのシーンがいかに忠実かということと同じくらい感銘を受けたよ」。加えて、アーヴィングは笑いながらこう論じる。「原作の最初の三分の一から良い映画が出来たら、みんなきっと、この後はどうなるか知りたくて、小説を読んでくれるんじゃないかな」。
ウィリアムズは言う。「この映画には独特のリズムがある。順応期間というものがあって、その間に観客は、期待するものと達成されるもののダイナミズムが他の映画とは違うということに慣れてゆくんだ。この映画は観客に、耳を傾けること、さらには読むことさえも要求する。ストーリーテリングということがこの映画の中心的モチーフになっているんだ。登場人物たちは全員、何らかの形でストーリーを物語る。僕らの誰もが自分の記憶の中に自分史を記すようにね。ストーリーをいかに語るかが、その人物を明かすことになるんだ」。 アーヴィングはウィリアムズの仕事について、「心から満足している」と言う。「トッド・ウィリアムズの脚本は、僕の小説を脚色した映画の中ではこれまででいちばんの、一字一句忠実な翻案になっている。だが同時に彼は、彼自身の作品に仕上げてもいる。これは見事な仕事だね」。

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3:“マリアン”=キム・ベイシンガー
「彼女は、この映画に出ないための言い訳を探している最中だと言うんだ」

マリアン役のキャスティングでは、「美しいだけじゃなく、ほとんど凍りついたような状態にある時でさえ、とても多くのことが内面で起こっているのが伝わってくるような女優が求められた」とプロデューサーのアン・ケリーは言う。
アーヴィングはマリアンという人物を、「不可解」と見ている。「彼女は自分に閉じこもっていたのだが、人生に復帰する――それも冷静な方法で――この少年とともに、このひと夏限り」。彼はベイシンガーがこの役に用いた発声法を絶賛し、「ああいった類の哀しみ、嘆きをたたえた声を聞いたのは初めてだった」と言う。
プロデューサーのテッド・ホープは言う。「キムの演技は極めて勇敢だ。彼女と同じことをあえてやろうとする女優はほとんどいない。つまり、好かれようとしない演技だ」。
トッド・ウィリアムズ監督はこう言う。「この映画の全体的ポイントは問いであって、答えではない。すなわち、マリアンの行為を、裁くことなく受け入れられるか?という問い。僕は、勇気ある女優でなければこの役を引き受けようとはしないだろうと思っていた。キム・ベイシンガーは、マリアンの力が、失うものは何もないというところから来ていることを理解していたよ」。
ベイシンガーは、マリアン役に惹かれた最大の理由はふたつあると言う。ひとつは「キップ(ウィリアムズ監督のニックネーム)と仕事ができること。もうひとつはマリアンが“ひとりぼっち”だということ」。
ウィリアムズ監督は言う。「僕が必要としていたのは、たとえ彼女がどうしてそういうことをしたかわからなくとも、自分の置かれた私的・内的状況においてベストを尽くしたのだ、と納得させられる人だった。キムに初めて会った時、マリアンが見つかったと思ったよ。彼女もそのことがわかっていた。彼女は、この映画に出ないための言い訳を探している最中だと言うんだ。なぜならこの役の闇の部分が怖いからだ、とね」。
「けれども、そこが勇気の何たるかだ――恐怖に対するへそ曲がりのリアクションさ。彼女が徐々に引き込まれていったのは、役への恐怖心がそうさせたからだと思う。マリアンはあまりに傷つきやすい。キムはそれが分かっている。彼女とマリアンには尊敬すべき共通の資質がある。ふたりとも自分が正しいと信じることを行い、弁解も説明もしないんだ」。

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4:“テッド”=ジェフ・ブリッジス
「トッドは常に、この男の中の少年を見なければいけないと言っていた」

テッド・コール役には、魅力とワルっぽさを兼ね備えた、信頼感のある俳優が求められた。
テッド・ホープはこう説明する。「トッドは常に、この男の中の少年を見なければいけないと言っていた。テッドはただ自分の周りのものすべてを愛しているだけで、自分を取り巻く快楽に溺れずにはいられない男なんだ」。
アン・ケリーはこう加える。「テッドは成功した児童文学作家であり、挫折した小説家でもある。異性の魅力に抵抗できない男で、立派な父親でもある。そういったことを観客が納得できなくてはいけない。それに、この夫婦がとてもうまくいっていた時期もあったということも、納得してもらう必要がある。私たちはずっと、ジェフ・ブリッジスに演じてもらいたいと思っていたわ」。
アーヴィングはブリッジスとは既に顔見知りだった。「僕の『サーカスの息子』の脚色で、数年間の付き合い」があると彼は言う。「その脚本はまだ作業中でね。彼は常に僕にとっての宣教師役(脚本の登場人物)の第一候補さ。彼がディテールにこだわって細やかに役を演じることはよく知っている。だからジェフがテッド役を引き受けてくれたと聞いても、少しも驚かなかった。彼はテッドを大事に演じてくれたよ」。
ブリッジスはこう話す。「ジョン・アーヴィングが書くものは、僕にはとてもリアルな感じがするね。僕が思うに、これは基本的には、人間がいかに人生における悲劇に対処するかを描いた物語だ。それぞれの人物が、異なる方法で対処する。マリアンがテッドを憎むのは、彼が過去の悲劇をいわば新陳代謝して、克服できているから。テッドがマリアンを憎むのは、彼女の方が悲劇への感受性が高い――悲しみが深い――ように思えるから。自分より人間的に思えるからなんだ」。
ブリッジスは本作に登場するイラストも自ら描いている。ディティールにまでこだわるブリッジスは、テッドがドローイングに使うイカスミも、本物を用意させた。彼は仕事部屋のセットについて打ち合わせるため、休みの日を一日つぶしてデプレスに会いに行ったほどだった。
「僕がこの作品に惹かれた理由のひとつは、テッドがアーティストであり、イラストレーターでもあるという点。僕のそういう面を活かして、ドローイングを描くチャンスだと思ったんだ。『フィアレス』でも何点か描いたことがある。ピーター・ウィアーが映画にうまく取り込んでくれたんだ。そういえば『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』では、ピアノを弾いてくれと言われて呼ばれたんだった。僕は音楽好きで、演奏の方もちょいとやるんでね。でもテッドはもっと頑固で、もっと利己的。自分の夢を追いかけている男だね」。

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5:“エディ”=ジョン・フォスター
「彼の誠実さは心から心へじかに伝わってくるの。」

エディ役には「トッドは掘り出し物になるような俳優を欲しがっていたわ」とアン・ケリーは言う。「ジョンは、世の中に対してポジティヴな考えを持っている好青年という印象を与えられる。彼はシニカルでも、尊大でも、嫌味でもない。世の中を、自分が接した通り、ありのままに受け止めている子ね」。
ウィリアムズは言う。「ジョンは素晴らしい仕事をしてくれた。観客は彼が理解することだけしか理解できないのだから」。フォスターが演じなければならなかったベイシンガーとの親密なシーンについて、ブリッジスはこう言う。
「普通、映画でセックス・シーンがあると、観客はストーリーから引き離されてしまうものだ。逆に自分が引き込まれた稀なケースがある。セックスは僕らの人生のものすごく重要な一部だから、映画がそれを描くのは当然と言える。ジョンはそれを驚くほど新鮮な方法でうまくこなしてみせた」。
ウィリアムズはフォスターを高く評価している。「ジョンはジェフとキムの全然違う演技法の接着剤の役割を果たしただけでなく、現場でも接着剤になっていた」。
「彼はスポンジのようだ」とブリッジスも賛辞を贈る。「何でも吸収してしまう。自分の駆け出し時代を思い出したよ。彼との共演は最高だったね」。 ベイシンガーも同意見。「ジョンはとにかく素晴らしかった。あれ以上に感性豊かで、美しく、礼儀正しい共演者なんて望めないわ。この作品の性質を思えばなおさらそう思えてくるの。彼の誠実さは、心から心へじかに伝わってくるの。私はそこにはっとさせられたわ」。

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