Introduction -イントロダクション-

日本の心を世界へ発信

『最後の忠臣蔵』は、海外メジャーとして洋画をヒットさせ続けるワーナー エンターテイメント ジャパンが、日本人の風土、文化に沿った映画製作を目指すローカル・プロダクションの本格的第1弾として発信する。
ワーナー エンターテイメント ジャパンのウィリアム・アイアトンは、「毎年12月14日が近付くと、日本人の心を騒がせる忠臣蔵、それは、映画や舞台などで、300年にわたって語り継がれてきた史実であり、主君への忠義、武士の心というテーマは、世界の人々にも必ず届くと確信している」と語る。
また、この作品を製作する大きな理由に、スタッフ・キャスト全員が脚本に惚れ込んだという事実がある。1703年の元禄赤穂事件から16年後、二人の生き残りを描くという、今までの忠臣蔵の作品とは違った角度からとらえている池宮彰一郎の小説「最後の忠臣蔵」(角川文庫)を、『ツィゴイネルワイゼン』、『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』で知られる田中陽造が大胆に脚色、心に響く脚本へと見事に書き上げた。完成した脚本を読み、感動を共にしたキャスト、スタッフによって、製作が実現したのである。


役所広司×佐藤浩市 夢のコラボレーション!

大石内蔵助より、それぞれの使命を授かり、全く違った人生を歩むことになった二人の男が、16年の時を経て巡り会い、新たな物語が生まれる・・・・・・。
大石内蔵助から密命を受け、ただひたすら身を隠し忠義を果たす男、瀬尾孫左衛門役に役所広司。
一方、討入りに参加し、その後諸国に散った赤穂浪士の遺族たちを援助するという使命を受けた、寺坂吉右衛門役に佐藤浩市。役者として脂の乗ったこの二人の共演は、2006年三谷幸喜監督作品『THE有頂天ホテル』の1シーンのみ。本格的な共演は本作が初となる。
無言の失踪を遂げた孫左衛門と、その行方が気にかかる吉右衛門。孫左衛門は、かつての友に想いを語れない苦悩と、内蔵助に対する忠誠心の間で揺らぐ。二人が剣を交えるシーンは、密命を守り続ける孫左衛門と、彼を心配する吉右衛門の想いがぶつかりあう、見どころの一つである。
杉田監督は「最初からこの二人しか頭になかった。全く違ったタイプの俳優がぶつかりあうことで、とても面白い効果が生まれただろう」と、語る。役所広司は「素晴らしい俳優さんですし、しっかりと仕事したいなと思っていました」と、佐藤浩市は「そんなに年齢の差はないのですが、ずっと背中を見てきた人で、自分との比較をしてしまう人。今回の共演はとても楽しみでした」と語っている。


杉田組のこだわり
〜時代のリアルを追及したスタッフたち〜

脚本
脚色にあたって、シナリオライター田中陽造が創りだした最大のアイデアは、孫左衛門と吉右衛門の二人の男のドラマに加えて、孫左衛門と可音のドラマに焦点を当てるために、そのドラマのニュアンスの「添い手」として、人形浄瑠璃の傑作「曾根崎心中」を登場させたこと。
原作小説にはない、ゆうのキャラクターを孫左衛門の側に配したこともあり、ストーリーの厚みと艶っぽさを加えた脚本はキャスト・スタッフをはじめ、各方面から称賛の声が寄せられた。


撮影
撮影監督の長沼六男と杉田成道監督は、今回が初めてのタッグとなった。撮影に入る前、長沼から「ワンカメ(1台のカメラ)で撮影したい」と提案があった。それは監督の、1カット1カット丁寧に積み上げていく手法と重なった。山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』や『武士の一分』などの時代劇の経験を持つ長沼は、「芝居をどうとらえるかということに重点をおき、カメラテクニックとしての余計なことはやらず、観客の気持ちになって、映画をご覧になる方々が満足する映像を心がけた」と語っている。


照明
監督から「ろうそくの明かりで暮らす時代のリアルな照明にしてほしい」と要求があった。そこで伝統ある大映京都の重鎮・故中岡源権の流れを汲む宮西孝明が、微妙な光のバランスを調整し、様々な工夫を凝らしたライティングによって、江戸時代中期の暮らしを感じさせる光を表現している。観る者はまるで自分がタイムスリップして、孫左衛門と可音の生活を覗いているような感覚を持つだろう。


美術
セットデザインを担当したのは、『地獄門』や『炎上』、近年では『たそがれ清兵衛』、『火天の城』など、180本以上の作品の美術を手掛けている、日本を代表する名美術監督、西岡善信。西岡も脚本に惚れ込んだ一人である。脚本を読んだ時に、孫左衛門の家、ゆうの家、呉服屋である茶屋家、その三つの舞台を違ったカラーで作るという構想が、すぐに浮かんだという。監督にはまず茶屋家の構想として、溝口健二監督の『近松物語』の舞台となった商人の店のイメージを提案した。そして、孫左衛門の家は田舎風の生活感のある建物。決して裕福ではないが、細部にわたって大切に使いこまれた温かみと、歳月を感じるような家だ。ゆうの家は、孫左衛門の家とは対象的に、直線で整った京都風の家。通り庭と丸く抜かれた襖がポイントになっている。西岡は、「この作品のデザインは、夢中になって時間を忘れて描き上げました」と語る。西岡の美術のすごさはそれを、すべて本物で作ってしまうことである。柱は1本1本、建築で使用する木材を使用し、竃(かまど)も本物を作り上げている。


衣装
舞台となる美術と同様、時代設定が一目でわかる衣装。それぞれのキャラクターに沿った衣装を一から構想して作り上げたのは、黒澤和子である。可音のために食事も質素なものをとっている孫左衛門、諸国を歩き続ける吉右衛門。「それぞれが、自分のことは後回しにした生活を送っているだろう」と考えた黒澤は、何度も何度も手洗いを重ね、それぞれのキャラクターが長年着て暮らしてきた上で、自然と出来る布地の擦れ具合などの生活感を再現した。それと共に、映像になった時にどう映るかも考え抜かれた素材を使用するなど、工夫が盛り込まれている。

徹底的にリアルを追求したスタッフの努力が実を結び、『最後の忠臣蔵』の素晴らしい映像が生まれたのである。


京都ロケーションのすばらしさ

竹林
嵐山という立地上、撮影所に近いこともあって、京都で撮影された時代劇には出てこないほうが珍しい大覚寺。「第二の映画村」ともいわれている。1922年には大沢池附名古曽滝跡が国指定名勝として、1938年には境内全域が大覚寺御所跡として国指定史跡に指定されている。宸殿、正寝殿、襖絵116面など、多くの重要文化財を所有しているこの大覚寺の、心経宝塔裏手にある竹林が、孫左衛門の家に至るまでの竹林として撮影された。広い敷地の中で、観光客もここまでは足を運ばないスポットかもしれない。1000本以上もの竹の間から陽が差し込むさまは、この世のものとは思えないほど幻想的な光景である。また、時に帰宅を急いで走り抜け、時に茫然と立ちすくむなど、竹林はそこを通る孫左衛門の気持をも表している。

近衛家
平安時代を代表する女流歌人である小野小町の邸宅跡に建てられた門跡寺院として有名な隨心院が、進藤長保の住む近衛家として撮影された。境内は国の史跡に指定されており、書院と本堂の前が広々とした苔庭で、繋がる本堂の南に滝組と池泉が美しく、門跡寺院らしい優雅さを持つ庭園が広がっている。
茶屋四郎次郎が長保に、息子の修一郎の恋わずらいを話すシーンなどは、徳川初期の建造、狩野派の筆による舞楽図、宮廷人物図などの文化財のある奥書院や表書院などで撮影された。


渓流
逃げる孫左衛門を追ってきた吉右衛門が、橋の上で姿の見えない孫左衛門に語りかけるシーンの撮影は、桂川上流、清滝川落合橋付近の小さな橋で行われた。橋の下に隠れている孫左衛門に、吉右衛門が初めて己の想いをぶつける。孫左衛門は、それを黙って受け止める。吉右衛門を演じた佐藤浩市は、「このシーンで吉右衛門の気持ちが観客に伝わらないと、僕が吉右衛門を演じた意味がない」とまで語っている。佐藤の最大の見せ場の一つである。


「赤子の可音を抱いて雪の中を歩く孫左衛門を、どうしても本物の雪山で撮りたい!」リアルを求め続ける監督の要望に応えて、スタッフ・キャストは急遽、滋賀県伊香郡余呉町の雪山での撮影に挑んだ。孫左衛門役の役所広司は、太腿まで積もる雪の中を、赤子の可音を守るようにして、何度も何度も歩いた。



オープニング、諸国を訪ね歩く吉右衛門のシーンの撮影は、日本海を望む京都最北端の京丹後市丹後町間人(たいざ)で行われた。聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が、大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避けるために身を寄せた地と伝えられ、現在、幼い聖徳太子を抱えて逃げてきた間人皇后と太子の像が、その上陸の地で日本海を眺めている。この地方の冬の、冷たい風と荒れる海を経験している京都のスタッフは、荒波の海岸を歩く映像を想像していた。しかし、撮影した日は小春日和となった。そして海だけは高い波が打っているという、得難い映像が生まれた。

竹本座
修一郎が初めて可音を見かけ、一目惚れするという重要なシーンは、四国・香川県仲多度郡琴平町にある1835年に建てられた現存する最古の芝居小屋「金丸座」で撮影された。1970年に学術的、文化的価値の高さを認められ国の重要文化財に指定され、1976年には保存を図るための復元再興がなされ現在地に移転、天保時代の姿そのままに甦った。1985年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」を毎年6月に公演し、全国から集まる歌舞伎ファンを魅了し続けている。映画は、かつて『写楽』や『阿修羅城の瞳』が撮影されたが、本格的に金丸座の中で撮影するのは初めてである。香川県のフィルムコミッションの協力を得て、2日間で200人余りの市民の方々が、観客役のエキストラとして参加、江戸時代のにぎやかな芝居小屋へと変貌した。

世界遺産
可音の輿入れの行列のシーンは、たくさんの名所で撮影が行われた。近江商人発祥地として知られる滋賀県東近江市五個荘(ごかしょう)の街並みや京都府亀岡市宇津根町の桂川沿い、そして京都府左京区の下鴨神社(正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の境内、糺の森(ただすのもり)がある。この下鴨神社は紀元前から祀られていたという記録もあり、1994年12月には世界的に保護されるべき遺産と認定され、世界文化遺産としてユネスコに登録されている。境内の糺の森は京都開拓以前の古代山背の原生林の面影を伝える貴重な森としても有名である。


片岡仁左衛門が魅せる唯一無二の存在感

大いなる話題を呼んでいるのが、歌舞伎界の重鎮、片岡仁左衛門の出演。物語の核となる重要な役どころとされる大石内蔵助を演じている。1998年に十五代目を襲名して以来初の映画への本格出演となるが、討入り前夜に密命を下すという内蔵助の素顔ともいうべき裏側までを見事に演じ、仁左衛門にしか成し得ない、かつてない角度から切り込んだ新たな内蔵助像を創り上げた。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」、「元禄忠臣蔵」でも内蔵助(大星由良之助)を演じ、父の13世片岡仁左衛門に継ぐ、“由良之助役者”との評判も得ている、当代きっての名優である。


大物キャストの豪華競演

吉良上野介役は、『ラスト サムライ』に大抜擢された福本清三が演じている。
また異色のキャスティングとして、文学座、劇団四季を経てフランスに渡り、俳優、演出家としてヨーロッパで活躍する笈田ヨシが、商いよりも趣味を好む数奇者の茶屋四郎次郎を熱演。
その息子で、可音に一目惚れした一途で誠実な茶屋修一郎を山本耕史、元太夫という過去を持ちながら、孫左衛門を支える芯の強い女性ゆうを安田成美、旧赤穂藩の重臣・進藤長保に伊武雅刀、吉右衛門が最後に訪ねる討入り浪士の遺族・茅野きわに風吹ジュン、逐電した孫左衛門を足蹴にする過激なキャラクターの月岡治右衛門を柴俊夫が演じている。
さらに、奥野将監役には「北の国から」シリーズで杉田監督と長年にわたって作品を作ってきた田中邦衛が、山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』以来、6年ぶりの映画出演を果たした。


杉田監督が見出した、桜庭ななみの才能

キャスティングでは、本作のストーリーの要となる可音役が最も難航した。可音は知性と品格、教養を兼ね揃えた武家の娘として見劣りしないよう、孫左衛門が大切に育てあげた娘。立ち振る舞いにも、凛とした美しさが求められる。
ある時、桜庭ななみのプロフィールを見た杉田監督は、写真を見た瞬間に「可音はこの子しかいない!」と確信したという。かつて、「北の国から’87初恋」の横山めぐみや、「北の国から ’95秘密」の宮沢りえを見出した監督は、桜庭に「吉永小百合のような国民に愛される女優になってほしい」と語っている。撮影中も監督は桜庭に、心の動きを表現する演技を細かく指導した。また桜庭にとっては、時代劇も同年代の俳優が出ていない作品も、初めての経験となる。桜庭は現場では常に“可音である”ために、撮影所に着物で来るという意気込みを見せた。さらに、可音はお琴、茶道、絵描きなどのお稽古ごとをしっかりとこなす娘である。桜庭も一つ一つを練習し、撮影に臨んだ。特に琴は、撮影に入る前から練習を重ね、京都で指導を担当した演奏家も「素質がある!」と太鼓判を押したほど。撮影が進むにつれ、身も心も凛とした可音の姿に変わっていった。


人形浄瑠璃

可音と修一郎が出会うきっかけとなった舞台の演目は、江戸時代に人気を博した人形浄瑠璃「曾根崎心中」。1703年、実際にあった心中事件に基づいて、近松門左衛門が書き上げた。この演目を皮切りに、心中ものが大ブームとなり、共感した人々による心中が多発、上演が禁止されるまでになる。ようやく1953年に歌舞伎で再演され、現在では映画や舞台をはじめ様々な形で語り継がれている。
演じているのは文楽を世界に広げ、精力的に活動を続けている桐竹勘十郎(三世)。四国の金丸座での撮影にも参加した。香川のエキストラの前で、文楽についての説明をするなど、撮影とは別のサプライズを演じてくれた。
桐竹勘十郎の文楽は、主遣い(首と右手)、左遣い(左手)、足遣い(脚)の3人で一体の人形を操り、一本一本の指先、頭の傾げ具合によって表情が見事に変わって見える。一度見たら釘づけになってしまう美しさである。脚本の田中陽造が原作にはない孫左衛門と可音の想いの象徴として加えた、大いなる見どころの一つである。