ホワイトアウトホワイトアウト

巨大ダムを占拠、20万世帯の住民の命と引換えに50億円を要求するテロリスト。
彼らにたった一人で闘いを挑む男がいた!

2016年秋、TV放送決定!
フジテレビ 2016/11/1 25:55〜
青森テレビ 2016/11/4 25:00〜
岩手めんこい 2016/11/6 25:45〜
新潟総合テレビ 2016/11/3 26:15〜
富山テレビ 2016/10/30 25:30〜
テレビ静岡 2016/11/5 25:50〜
関西テレビ 2016/10/29 14:45〜
テレビ山口 2016/11/3 14:53〜
岡山放送 2016/11/13 12:00〜
テレビ愛媛 2016/10/29 25:40〜
高知さんさんテレビ 2016/11/6 13:30〜
テレビ西日本 2016/11/12 25:45〜

Introduction -プロダクションノート-

氷点下30度、荒れ狂う猛吹雪、行く手を阻む、雪、雪、雪・・・・・極寒期の冬山と巨大ダムを舞台に繰り広げられるド追力!新世紀アクション超大作の誕生!!

断念につぐ断念。それはまさに、幾度となく行く手を覆い尽くす「ホワイトアウト」との戦いそのものだった。

 1995年9月に発売された真保裕一作「ホワイトアウト」は、空前のスケールと類のない展開で一大センセーションを巻き起こした。その計算され尽くした映像的構成に、数多の映画関係者が映画化に動き始め、ただ一つの切り札を手に当プロジェクトもまた、名乗りをあげた。その切り札とは、原作に惚れ込み、主人公富樫役を快諾した<織田裕二>。彼と共に、四年半にもわたる「ホワイトアウト」との戦いが幕を開けることになる。それはあの大ヒットした「踊る大捜査線」TVシリーズ開始より、一年も前のことだった。激しい争奪戦が繰り広げられる中、幾度となく断念を追られたが、ついに97年夏、待望の映画化権を獲得するに至る。そして98年のクランクインに向けて全力で準備が開始された。しかし、大きな壁が行く手を阻んだ。極寒の雪山での撮影を含め、今までの日本映画のスケールをはるかの超えたこの作品の準備に、一年という時間はあまりにも短すぎた。ここで二度目の断念を余儀なくされる。結局、さらに一年の準備の後、99年12月11日、映画「ホワイトアウト」は吹雪の黒部ダムにおいて念願のクランクインを迎えた。だが三度目の断念の危機が、撮影半ばにして立ちはだかる。新潟、長野地方を襲った四十年ぶりの暖冬。雪が降らない。撮影上、最大の障害となるはずだった雪、それが降らないことで、映画の完成が不可能な状況にまで追い詰められたのだ。撤退か、続行か。決定のリミットは1月20日―製作断念はほぼ決定的になった。ところがなんと19日の夜、突然降り始めた雪は、翌朝、一面を埋め尽くし、その後、七日間降り続くことになる。それはまさに、このプロジェクトに関わったすべての人々の「ホワイトアウト」への想いが生んだ、一つの奇跡だったかもしれない―撮影再開の朝、吹雪の中、振り向く織田裕二の笑顔からこぼれる歯は、降り積もった新雪よりもなお白く輝いていた―


「ダムから落ちる夢」を見た、織田裕二、32回目の誕生日。

 12月13日、富樫役の織田裕二は32回目の誕生日のこの日にクランクインの時を迎えた。地上90m、天場の幅わずか0.9mのダムのキャットウォークでスタッフらの祝福を受け、天の神様からも願ってもない雪のプレゼント。本当は高所恐怖症だという織田だが、撮影中はそんな素振りをまったく見せず、キャットウォークから身を乗り出しながら演技を続ける。 一夜明けて、織田が言った。「本番中は自分でも不思議なくらい怖さを忘れていたけど、さすがに昨日の夜はダムから落ちる夢ばかり3回も見たよ」


人間はこうやって凍っていくのか・・・・・。

 雪山ロケの過酷さは撮影クルーの想像を遥かに超えていた。気温は常に氷点下20℃前後、雪に足をとられ吹雪の冷たさに顔をさされ、セッティングにも演技にも通常の3倍は時間と労力を要する。頭や肩に10〜20cmもの雪を積もらせた大勢のスタッフが見守る中、フリース1枚で「ホワイトアウト」にのみこまれていく織田。猛吹雪が相手では目を開けることもできなければ、息もできない。眉毛や睫毛のまで白い雪の結晶が貼りつき、人間の凍っていく様が肉眼ではっきりとわかるのだ。織田は言う。「ほとんどドキュメンタリ。この状況じゃ計算した演技なんてできこっない」


酸素濃度18%・・・・・酸欠ギリギリのトンネルで。

 厳しい撮影状況は屋外だけではない。人一人がやっと通れる狭いダムの監査廊でのアクション、各自長靴持参の放水路、全員防塵マスク着用のトンネルなど雪はなんとも過酷さは同じだった。なかでも撮影クルーが脅えたのは某発電所の基礎処理トンネル。酸欠の恐れがあるため入場は20名に制限、酸素消費を軽減するためにスタッフには大声をだすことと走ることの禁止令がだされた。スタッフの一人が携帯していた酸素濃度計は、朝の段階で20.8%をしましていたが昼になって18.4%を記録。17%で酸欠状態に陥るという。そんな中でも富樫は全力で走りまくる。結果、用意された酸素ボンベを使用するはめになったのは織田ただ一人だった。


黒部ダムに始まり、黒部ダムに終わる。

 3月5日、ついにクランクアップの日を迎えた。少数気鋭の撮影スタッフで乗り込んだのは、クランクインと同じ黒部ダム。織田や若松監督らはそこまでの移動をヘリコプターで行ない、眼下に広がる果てしない銀世界に息をのんだ。まさしくそこは雪に閉ざされた要塞だった。撮影が予定されたのはダムのキャットウォークに立つ富樫をヘリコプターからの空撮シーンだった、前日は悪天候のつき断念。ダム職員用の宿泊施設に一泊して再挑戦し、長く厳しい厳冬の撮影は春の訪れとともに終了した。