Introduction -プロダクションノート-

世界を駆け抜けた海外ロケーション

時代設定は1960年代から1980年代の激動の時代。
高度経済成長期から昭和の終わりまでの30年間を描く大河小説を、3時間超の映像世界へ。ストーリー、スケール、人物設定、そのすべてが日本映画の枠を超える撮影体制で挑む。

労働組合の委員長として会社側と団体交渉を行った結果、職場環境改善、労働条件の向上を勝ち取った恩地。しかし、彼に待っていたのは、パキスタン・カラチ、イラン・テヘラン、そしてケニア・ナイロビという10年に及ぶ海外僻地勤務の辞令…。その撮影にあたり若松組は、本年2月から1ヵ月半に及ぶ、海外キャラバン撮影を敢行した。イランでの撮影では、日本の映画撮影チームが単独で入るのは、アフマディネジャド政権になって初の試み。厳格な回教徒の国だけに、空港到着から女性スタッフはストゥールを巻き、アルコールの摂取も一切禁止して市内撮影を行った。ロケ現場には、この国では日本の扱いがアメリカ陣営であることから、すべての撮影期間中、国家警察の厳重な監視がついた。


続いて、『沈まぬ太陽』のタイトルを象徴するロケ地ケニアでは、支店の撮影を行った首都ナイロビと、恩地が孤独を紛らわすためにハンティングを行う地――アフリカ屈指の自然保護地区であるマサイマラ国立での撮影を行った。首都ナイロビでは、恩地が初赴任する1960年代の時代設定を再現するため、当時の雰囲気を残すロケ地を選定、さらに共和国成立間もない人々の躍動する息遣いが伝わるよう、エキストラ一人ひとりに至るまで、衣装を含むリアルな人物設定にこだわった。恩地が、本社とケニア政府との交渉が打ち切られた事実を知って自暴自棄になるシーンでは80万人が住むナイロビ最大のスラム「キベラ」で撮影を敢行。現地に住む子供たちがそのまま出演し、圧倒的なパワーとリアルな息吹の中でキャメラは回り続けた。さらに、マワイマラで撮影されたサバンナでのハンティング・シーンでは、渡辺謙は事前にプロの指導を受け本物の猟銃を使い本番に挑んだ。


そして、エンディングの象徴的な場面。
――サバンナの広大な地平線に沈む夕日は、明日を信じる『沈まぬ太陽』に相応しい、感動的な瞬間を切り取ることに成功した。観客の魂を震わす「太陽」は、日本映画史に残る名シーンへと消化することだろう。


『七人の侍』『赤ひげ』以来、インターミッションを確保した上映体制

1巻400ページ超、全5巻の大河小説『沈まぬ太陽』の映像化にあたって、原作者・山崎豊子が提示した条件は必ず1本の映画として纏め上げることだった。脚本家・西岡琢也と若松節朗監督は、原作者の要望に精魂こめて取り組んだ。撮影直前まで粘り強く改訂を続けた結果、原作のダイジェストに陥ることのない新たなる構成の『沈まぬ太陽』が、1本の映画シナリオとして結実した。そのシナリオを基に、キャスト・スタッフが一丸となって臨んだ撮影現場では、渾身の名場面が生み出されていった。それらを余すことなく繋いだ上映時間は、大作映画に相応しい3時間22分の内容へと仕上がった。

劇場公開の大作映画としては、久しくなかった3時間超えの作品を、老若男女、すべての世代に鑑賞してもらうために、上映途中にインターミッション(途中休憩)を10分用意する体制を整えた。日本映画では、黒澤明監督「七人の侍」(1954)、「赤ひげ」(1960)、そしてドキュメンタリー大作「東京裁判」(1983)など、映画史に輝く作品群と同様に、大作映画に必須のインターミッションが本作で復活することとなった。