ナンバー23The Number 23

自分の過去を映したような不吉な古本。そこに隠された「23」の鍵とは?
「オペラ座の怪人」の監督、ジョエル・シュマッカーが仕掛ける究極の謎解きサスペンス。交錯する過去、現在、そして未来―。

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Introduction -プロダクションノート-

ベテラン監督を魅了したオリジナリティ溢れる脚本

脚本を手掛けたイギリス出身のファーンリー・フィリップスは、本作がデビュー作である。物語で最大の軸となる “ 23 ” の謎、そしてその魅力について彼が知ることとなったのは、友人からの情報がきっかけだったと言う。ジム・キャリー演じる主人公ウォルター・スパロウのように、フィリップスはあっという間に数字が持つミステリーの世界に魅せられた。膨大な書物を読み漁り、数字にまつわる背景を隅々までリサーチ。そして “ 23 ” が持つ謎を、映画の鍵となる背景として使うことにした。仕上がった脚本を手にしたプロデューサーのボー・フリンは、興奮した面持ちで当時をこう振り返る。「初めて読んだ時に確信しました。彼の脚本がいかにオリジナリティに溢れていて、そして映画業界に新しい分野を切り開く力のある作品だということを。迫力のある作家性は見事なまでに全編で貫かれていて、その上、最後まで色褪せることなく力強いものだった」。ファーンリーの類い稀な才能に心酔したプロデューサーのボー・フリンとトリップ・ヴィンソンは、ニューライン・シネマに企画を持ち込んだ。そして両者は次に、監督探しへと乗り出す。とはいえ、最初から最後まで彼女たちの頭にあった名前は一貫してジョエル・シューマッカーだったと言う。「彼以外には考えられなかった。スタイリッシュなヴィジョンといい、ダークサイドを直感的に描く能力、そして役者たちとの比類なき調和にはいつも脱帽していたから」。彼女らの直感はどうやら正しかったようだ。脚本を読み、一瞬にして惚れ込んでしまったというジョエルは、すぐにプロジェクトに参加する意向を表明した。「こんなカルトな世界があったなんて! 完全にオリジナルでとてもユニークな本だと感心した。フィリップスが描いた世界は単なる数秘学の面白さだけではなく、人間の支配欲がいかに破滅的な力を持つかというメッセージも付加されていた。これは実際の生活の中で誰もが感じていることなんじゃないかな。誰にでも心の奥底に支配欲は潜んでいるものだからね」。


脚本がもつ世界観を実現させた、最高のキャスト&スタッフ

一人二役の主人公、ウォルター・スパロウとフィンガリング刑事は誰が適任であるのかとまず監督、プロデューサーの頭に浮かんだのは、'95年に一緒に製作をした『バットマン フォーエヴァー』で謎の怪人リドラーを演じた世界的スーパースター、ジム・キャリーだった。だが、「ジムが得意とするコメディ路線とはあまりにも異なるシリアスな役どころなので、果たして仕事を引き受けてくれるのかどうか心配だった」と、シューマッカー監督。しかし、ジムにとってこの作品との出会いはある意味、運命的だった。「実は会社の名前を【JC23】に変えたのは数年前のことで、僕自身23という数字にもうずっと長い間、なんらかの関連性を感じていたんだ。もちろん、数字が持つ謎についても知っていたし、カナダの友人とも日頃からよく話していた。そんな中、知り合いが『ナンバー23』の脚本を読んだと言うので、僕も読ませてもらうことにした。もうぶっとんだね。1ページ進む毎に気が狂いそうになるほど興奮したよ。さらに僕がほかの友人にも脚本を読むように薦めて、1時間半後、彼に会いに行ったらちょうど23ページ目をめくってるところだった!」キャリーはこの不思議な偶然と、そして自分にとってとんでもないチャンスになると信じて、この役に挑戦することを決めたという。ほか、共演者の中にも、一人二役を演じた役者は多い。まず、『サイドウェイ』でアカデミー賞にノミネートされた経歴を持つヴァージニア・マドセン。ウォルターの妻アガサと、フィンガリング刑事を誘惑する魔性の女ファブリツィアの二役を演じた。また『21グラム』のダニー・ヒューストン、子役で注目株のローガン・ラーマン、そしてローナ・ミトラ等、実力と個性が伴う魅力に溢れた面子が、見事にキャリーの脇を固める結果となった。

脚本全体が持つ独特な世界観を、いかにしてスクリーンに反映させるか? 監督のシューマッカーをはじめとするフィルムメーカーたちはその手段に当初、頭を悩ませたという。とくに、小説『ナンバー23』の登場人物。「なんとなくグレーな印象で、目の周りが落ち窪み、そしてどこかぼんやりとした人間たちだった。重要なポイントは本の中の人間たちが、実生活の登場人物たちよりも、ぐっとダークな色彩、イメージを放てるか否か」と、シューマッカー。限りなく脚本に忠実なそれらを再現するにあたり、優秀なスタッフたちが集められた。撮影監督のマシュー・リバティーク、美術にアンドリュー・ロウズ。また衣装デザインには『ダ・ヴィンチ・コード』のダニエル・オーランディを起用。彼らは荒涼かつ現代的なスリラーの世界観を見事なまでに作り上げ、さらに胸騒ぎがするような地獄絵巻を完成させた。


撮影中に頻出した、数字「23」の呪縛

そもそも、作品自体が「23」という数字に囚われているのだから、撮影中にもその数字の呪縛が表れることは想像に難くない。事実、キャストやスタッフたちはなにをするにも「23」に付きまとわれていると感じていたらしい。最初は半信半疑だったスパロウの妻アガサを演じたヴァージニア・マドセンも、不思議な偶然に驚愕した一人。「母親が新しい家を買ったらその住所に23が入っていた。それから私の駐車場の番号が23だった。ジムと私がトラックでのシーンを撮り直しする時、なぜかいつも辿り着くのが32番通り。23の逆だけど、ジムはこの不思議な一致にすごく喜んでいたわ」。ちなみに撮影が開始されたのは、2006年1月23日。そして全米公開されたのは翌2007年2月23日。果たしてこれは偶然なのだろうか?こんな興味深い話もある。「撮影中、誰かがカチンコを見てこう叫んだ。『シーン23、しかも23テイク目。あれ? 今日はたしか2月23日じゃないか?』ってね。そしたらその場にいた全員が『ありえない』って震え上がった。でもこんな偶然は別に珍しいことではない。テイクが23に及ぶことなんてザラにあるし、それ以上続けることだって普通にある。カメラが爆発したわけでもない。誰かが宝クジで何億ドルも当たったわけでもない。あの23テイク目を撮った日が、撮影開始23日目だったこと以外には・・・ね」。常に現場では平静を装っていたシューマッカー監督も、実は大いに感化されていたようだ。


最後の封印「23」が今、解き放たれる

光ファイバーが大洋を横断し、地球表面を包む電子的神経網に浮かび上がるバーチャル空間が次なる経済活動の基点として射程に収められつつある現在、全てを加速度的にビット化するITとマネーチャートが描きだす美しい自律性に全面的な信頼を置きながら、我々は無邪気にも「知り得ぬことは既にない」といわんばかりに、暢気な充足感に浴している。
しかし、我々が体験し、解釈し、我がものとした筈の欧米文化の表層が、解読のためのパスワードを必要とする「暗号」だったとしたら。我々が眺めている全ての表層が、無知なる者を笑い欺くイリュージョンに過ぎないとすれば。そしてそのようなカモフラージュの深層のメッセージが解読されたことなど、幕末の開国以来一度たりともなかったとすれば……。

その不穏な疑惑は近年、一連の映画作品の堰を切った様な公開ラッシュ現象を通じて、確実に社会意識に浮上し始めている。「セブン」「ダ・ヴィンチ・コード」が描く、反転されたキリスト教のイコン群、「シックス・センス」の暗喩の網、そして「マトリックス」「マイノリティ・リポート」が突きつける「隠された現実」感覚、これらは全てある一点の「闇」、我々日本人が決して取り込むことのなかった、そのあまりの奇怪さに困惑し文化的防御本能によってその流入を水際で拒んだ、欧米文化の深層に巣食う不気味な「怪物」の存在を、我々の眼前に突きつけているのだ。
その「怪物」とは、ユダヤ秘教伝統カバラ、錬金術などルネサンスに花開いた秘教思想、テンプル騎士団、フリーメーソンなどヨーロッパと新大陸を席巻した秘密結社のネットワーク、そして19世紀末から今日に至るまで通奏低音として振動し続けているテクノロジーと霊性のエロティックな交歓、それら「見えざる西欧」の地下水脈の総体である。


我々日本人は長らく、これら怪しげな地下水脈を死にゆく西欧の亡霊として一蹴してきた。ラテン語源の「隠されたもの」を意味する「オカルト」を、ネッシーやUFOやスプーン曲げといった表層として消費し、文化的フリンジとして切り捨ててきた。そしてこの拒絶が、続く半世紀に渡る致命的な情報欠落を引き起こし、誤読とせん妄のうちに暴走し破綻したバブル経済と文化失速の引き金となった。
すでに日常生活に欠かせないものとして溶け込んだインターネットを利用する時に、ふとIT独特の言葉遣い、ボキャブラリーの異質さに気付いたことはないだろうか。メーラーディーモン(Mailer Daemon)イーサネット(Ether net)アバターチャット(Avatar Chat)……。70年代のコンピューターフリーク、ハッカーたちが築き上げたITネットワークの随所に、ディーモン/Daemon(ギリシャ語源/地霊・使役魔)エーテル/Ether(ギリシャ語源/霊気)アバター/Avatar(サンスクリット語源・化身)といった秘教的なイメージが散りばめられているのは何故か。ビートルズの代表作「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバムジャケットに、ユング、アインシュタインと並び座を占めている「20世紀最大の魔術師」アレイスター・クロウリーとは何者なのか。サイバーパンクSFの旗手、ウィリアム・ギブソンが近未来の千葉、ロンドン、極点を舞台に描く「スプロール三部作」で、執拗にブードゥーの魔神に言及するのは何故か。明るいものと暗いものが同時に、瞬時に輝き、また見えなくなるようなこの違和感は、どこからくるのだろうか。


20世紀のテクノロジーの輝かしい歩みが、同時にオカルティックな「月の光」の波長をも内在していることを示す事例は、IT用語やSF的想像力の範疇にのみ見いだされる訳ではない。たとえば宇宙工学。NASA(アメリカ国立航空宇宙局)を生み出す母体となったカリフォルニア工科大学の共同設立者、ジャック・パーソンズは、月のクレーターにその名を残す偉大なロケット工学者であると同時に、アレイスター・クロウリーによって再編された東方テンプル騎士団(Ordo Templi Orientis)のカリフォルニア支部長でもあった。冷戦下の米ソ宇宙開発競争時代、NASAの研究室にはクロウリーのピンナップが誰によってともなく貼られていたという逸話がある。サイケデリック革命を指揮したポップ・グル、ティモシー・リアリーは、LSDによる精神拡張から地球外移民とケミカルデザイニングによる知性増大というテーマに接続し、後にLSDをコンピュータに置き換えたサイバー革命を準備した。「言語はウィルスである」というオブセッションに没頭したカルト作家、ウィリアム・S・バロウズは、地球外から人類の脳に感染した言語ウィルスによるコントロールを撹乱するために、原稿を切り刻み、リアリティを再構成するカットアップ技法を編み出し、その文化遺伝子は神経言語プログラミングと呼ばれる心理療法や、DJミックスとサンプリングによる音楽、ヒップホップ/ハウスミュージックに受け継がれた。
我が国において60〜70年代にかけてのアメリカ文化といえば、まずビートルズ、ウッドストック、ベトナム反戦運動といった事柄が想起されるだろう。長髪にひなげしを飾り、LSDの酩酊に禅を追求し、宇宙的な愛と精神の平和、自然回帰を説くポップ求道者たち。しかしそのステロタイプの深層には、フランス実存主義哲学や量子物理学にのめり込み、旧態然としたイデオロギーを嘲笑しながら、来る大消費型経済構造とITネットワーク社会を正確に予知していた知的アナキスト層が形成されていた。彼らはオカルト文学の古典をポストモダニズムによって再解釈し、ウォーホルのポップアートから攻撃的な戦略意味論を抽出し、サイバネティック宗教心理学を醸造しながら、後にハッカーと呼ばれる新たな都市部族勢力を形成していった。彼らの世代を牽引したカルト・アンセムは、ロバート・シェイ&ロバート・A・ウィルスンによるSF小説「イルミナティ三部作」。世界的な陰謀結社「イルミナティ」と、狂気の女神を信奉するアナーコ・ヒップなメタ宗教勢力「ディスコーディアン」との闘いが、随所に現れる神秘数23とともにハイスピードで展開する、空前絶後のサイケデリックSF小説だ。この作品は実在のディスコーディアン運動と連動し、ウッドストック以降/サイバーパンク前夜の若者たちの人生を不可逆的に更新した。彼らが心酔した神秘数23はバロウズ、イルミナティ、ディスコーディアンといった時代のアイコンとともに、最もスリリングな符丁、暗号として時代精神に刻印された。
この世代からいち早くスピンアウトしたのが、アップル・コンピュータを設立したスティーブ・ジョブズである。ディスコーディアン運動のシンボルであった林檎をトレードマークに掲げ、全く新しいパーソナル・コンピューティングの方法論を打ち出し、文字通り未来地図を更新してしまった。また「イルミナティ三部作」に熱狂したブルース・スターリング、サミュエル・ディレイニーといった新世代SF作家群が頭角をもたげ、後にサイバーパンクと呼ばれる次世代SF運動を準備した。映画監督のリドリー・スコットは、バロウズの「ヘビーメタル感覚」を悪魔的なまでのクオリティで視覚化した魔術師かつアーティスト、H・R・ギーガーを美術監督に迎え「エイリアン」を製作した後、P・K・ディックの先駆的サイバーパンクSF作品「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を映画化、そのタイトルにストーリーとは全く無関係でありながら「ブレードランナー」というバロウズの同名小説のタイトルを冠した。また近年話題となった世界的ヒット作「ダ・ヴィンチ・コード」原作者であるダン・ブラウンは、「イルミナティ三部作」と23エニグマへの全面的なリスペクトとオマージュを捧げている。彼ら時代のキーパーソンたちは、「23」のシグナルを受信し、文字通り未来を創造するという陰謀に果敢に参画していったのだった。


原書が発刊されて38年を経た2007年、ようやく「イルミナティ三部作」が翻訳・出版され、我が国にウィルス「23」の純粋種株が解き放たれた。そしてその僅か数ヶ月前、著者ロバート・A・ウィルスンは鬼籍に入り、さらにその数ヶ月後、11月23日に「ナンバー23」が公開される。
この出来事は極東の経済大国における「23エニグマ」の最新事例としてリストに追加されるとともに、見えざる欧米文化の深層潮流が、我々の目前で遂に最後の封印を解かれたアポカリプスの徴として、記憶されるだろう。